倉敷市・児島のメインストリート“児島ジーンズストリート”沿いにある持宝院は、奈良時代から続く歴史ある寺院と京都の作庭家「北山安夫」によって作庭された庭園があります。

作庭インタビュー:庭師 北山安夫

作庭インタビュー:庭師 北山安夫

作庭インタビュー:庭師 北山安夫

《作庭の想いを庭師・北山安夫さんにインタビューさせていただきました》


―――これだけ広大な庭を作るというのは相当大変かと思いますが、特にこだわった部分はどこでしょうか?

こだわった部分というか、私のこだわりは、愛を持って庭と向き合うことです。

『自分を愛する、隣人を愛する』というのと同じく『庭を愛する』ということ。また、庭を愛でてくれる人を愛すること。この集合体が庭だと思っています。

庭師北山安夫さんインタビュー

石も生きている、樹木も生きてる。その生きてるものと自分がどのように対峙して、会話していくか。それが一番大事なことじゃないでしょうか。

実際には庭木や石と会話はできないけれど、その中でどうするかと言うと、自分がそこに立って決断できる自分を作るということなんです。

『この木はこういう具合に使おう、この石はこういう具合に据えよう』というように、自分自身で決断すること。その決断の根底にあるのが愛情です。この石をいかに活かしてあげようか、この木をいかに活かしてあげようかと愛を持って決断する。それが先決ではないかと思っています。

 

―――庭の大小は関係ないということですね。

全く関係ないと思います。それよりも、その空間をきちっと自分が締めることによって、見に来てくれる人に対して強く訴えかけることができるのだと思います。庭の大きさではないと思っています。

 

―――あの小さな坪庭にも何か特別な想いがあるのですか?

お寺に来られるお客様を迎えるにあたって、やはり品格を一番に考えました。

坪庭の格がお寺の格に繋がっていくと考えています。

『あぁ、ピリッとしてるな。ピシッとしてるな。』と感じられる空気が流れることによって、このお寺全体にそういう空気が流れていくということでもあります。小さければ小さいほど、より神経を使って作らなければならないと思っています。

庭師北山安夫さんインタビュー2

―――坪庭は2ヶ所ありますが、どちらも同じ想いですか?

当然です。しかし、その中にもやはり一つの個性というものがあって。一方は花梨(かりん)の庭、もう一方は柿の庭というように、少し個性を入れています。なおかつ、そこに品を持たせることが一番大切なことだと思います。

 

―――では、あの大きな庭はどういう想いで?

基本的に日本庭園と言われているものを作らせてもらったのですが、石庭は『賽(さい)の河原』という、色々と想いの多い庭になっています。日本庭園では心安らいでもらったらいいし、賽の河原では懺悔してもらったらいいし。だから、物語を少しずつ変えているんです。

 

―――物語まであるんですね。

あるんですよ。だからここへ足を運んでもらったら半日や一日でもいられますし、場面々々で安らぎを覚えてもらえると思います。

 

北山先生略歴のご紹介


1949年 京都市にて明治より庭園資材販売・庭園作庭を生業とする北山錦弘堂に生まれる
1971年 京都産業大学を卒業後、『小宮山庭園創作所』に入所し、故小宮山博康氏に師事
1975年 26歳にて独立、『北山造園』を立ち上げる
1978年 京都・圓徳院北庭の修復
1988年 京都・高台寺庭園の修復開始(現在も続く)
1989年 高台寺書院中庭の作庭
1994年 京都・梅小路公園十彩回廊「粋」の作庭
1996年 佐賀県・圓通禅寺庭園の作庭
1997年 山梨県「久保田一竹美術館」の庭園の作庭
1998年 イタリア・フィレンツェにて日本庭園の作庭
2003年 南アフリカにて日本庭園の作庭開始
2004年 愛知万博「愛・地球博」にて日本庭園の石組み
2005年 京都・建仁寺「潮音庭」の作庭
2006年 南アフリカの日本庭園が完成
2007年 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演(第41回 2月15日放送)
2016年 「北山造園」創業40周年を迎える


個人宅の庭作りも大切にするなどその活躍は幅広く、100年先200年先を見据えた作庭に勤しまれている。

 

 

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