倉敷市児島出身の日本画家「赤松 燎」
倉敷市児島出身の日本画家「赤松 燎(あかまつ りょう)」は、1996年(平成8)に生涯をかけた京都・圓徳院の「白龍図」の襖絵16面を制作した翌年に逝去しました。
京都での生活が永かったため、故郷の岡山県では無名の画家でしたが、名を残さずとも多くの弟子と命を削って「白龍図」を制作し、後世に遺したのです。
彼は、道端に目立たずひっそりとある雑草、艾(よもぎ)をこよなく愛しました。
それは「路傍の日本画家」と言われるゆえんとなっています。
持宝院では、「路傍の日本画家・赤松 燎」を顕彰し、少しずつではありますが「光を!」当てていきたい、そんな思いを込めて「燎光会」の発足に携わり、作品をいくつか収蔵しています。
赤松燎を知る ―略歴―
1922年(大正11) 9月9日岡山県児島市(現・倉敷市児島)赤崎にて生まれる。
写真左:学生服姿の赤松燎、右:21歳の頃の赤松燎
1947年(昭和22) 京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学。
1953年(昭和28) 日本画家・山口華楊に師事。晨鳥社に入塾する。
1956年(昭和31) 日展に「ゆかた」出品し初入選する。以降25回入選。
「ゆかた」
1959年(昭和34) 京展にて「働」入選。
「働」
1960~70年代 様々な舞台の緞帳を制作。更に、この頃壁画も多数制作。
左:東京歌舞伎座緞帳、右:京都会館第2ホール壁画
1995年(平成 7) 京都高台寺塔頭圓徳院の襖絵「白龍図」を制作。
1996年(平成 8) 5月31日逝去。(行年69歳 普照院郊燎道栄居士)
ギャラリー
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